表札の歴史を語って行くには名字の歴史というのが欠かせません!何故なら、表札の歴史と名字の歴史というのは直結しているからです!管理人達は現在、名字と名前を組み合わせたものを「名前」と言ってますよね。しかし、昔は、名字と名前(氏)というのは、全く別の意味を持っていたのです。
「性」という物は、元々、当時の天皇様から与えられる、権力の象徴、地位を示す、一種の照合のような役割であったと言われています。つまりは貴族しか性は無かったというわけですな。えらーいご身分でないと名前も名乗れない世の中だったそうですからね。物騒な物です。
それから時は進んでいき、武士達が登場してくるような年代になると、それぞれの武士達が、自分が支配している土地の地名を自分自身の名字として語る輩が多かったと言う話です。兎に角自分の地位と凄さを表したかったんでしょうねぇ。今でも権力を誇示するという考えは変わりませんがね。
それでまたまた時は進み、江戸時代。徳川幕府の政権下の元で、士農工商が発展し、身分がしっかりと定着し、その前までは自由に名乗れが名字も、武士以外は名字を名乗ることが禁止されてしまいました。(なんで禁止するのか意味わかんないですよね(笑))そして、これまた武士以外が帯刀することが禁止されました。(これは一揆などが起こらないようにと幕府なりの対策だったと考えられています)この政策によって武士以外が名字を名乗ることが表沙汰では禁止になったそうですが、実際の所、一般庶民の間ではもう名字が定着していた為、名乗る人も多かったという話ですよ。(そりゃそうですよね。一度定着したのを止めさせるにはなかなか根気がいりますから(笑))
で、気になるのは一体いつから平民でも名字を名乗れるようになったのか。と言うことですよね。焦らなくても教えますから心配しなさんな(笑)実際名乗れるようになったのは、武士が支配し続けてきた時代が終わりを告げ、新しい文化の流れが入ってくる明治時代からです。明治時代の1870年、明治政府により「平民名字許可令」という声明が発表されたことにより、これまで表立って名字を名乗れなかった一般庶民でも気軽に名字が名乗れるようになったというわけです。しかし、実際の所、明治政府はあまり評判が良くなく、信用されていなかったことから、この頃でも表だって名字を名乗るという人はなかなか少なかったようです。何でも名字を名乗ると課税されるとかどうとかの噂が立ったらしく、名乗り出る人が結果的に少なくなってしまったんだそうな(笑)
いっこうに名字を名乗り出る人が少ないと感じた明治政府はしびれを切らし、「平民名字必称義務令」なるものを発表したそうな。これはその名の通り一般庶民にも名字を名乗ることを義務づけた物であり、これにより平民はやっと表立って名字を名乗るようになったそうです。長い道のりだなぁww
Last update:2024/1/9